理念と指導方針について
※具体例をいくつか挙げると、私が中2~中3生の頃に数学の「方程式」の単元で学んだ内容を、首都圏の中学受験生達は小5~小6の時期に「算数」の発想を駆使して取り組んでいました。確率の単元に至っては、私が高1生だった時に学んだレベルの内容を中学受験生は小6の春~夏の時期に学んでいました。
前述の具体例は誇張している訳では無く、これが首都圏の「受験ガチ勢」と地方の「受験予定者」の現実なのです。彼らは、私自身が公立小学生の時に学校で学んでいた内容よりも遥かに難しく、中学生や高校生に出題しても頭を悩ませるような問題に日々取り組んでいます。この事実に大きな衝撃を受けたと同時に、今のままでは地方に潜む「逸材」の才能を埋もれさせることになりかねないと強い危機感を持ったためです。
近年は大学受験制度の多様化が進んではいますが、その制度は詳細を知っていなければ活用できません。国公立大学を目指す子たちの大半が受けることになる共通テストの難易度も、センター試験の頃と比べて格段に難しくなっています。
スポーツに例えるなら、地元の大半の生徒が経験する高校受験は地区大会、成績上位の子でもせいぜい県大会レベルの位置付けと同等だと私は思っています。殆どの生徒は県外の人たちとその分野で接する機会が無いため、県外の同じ年代の人たちのレベルがどの程度の物なのかを知る機会はあまり無いと思います。
現代社会では新卒の就職活動時に未だ根強く重視される学歴、その一つの柱となる大学受験はスポーツで言う「全国大会」から始まる試合のようなもので、本当の意味での実力が求められます。
近い将来競い合うことになる同年代の相手の実力を早い段階から意識しておくことは、受験に臨む上での道標となるだけでなく、他者に差を付けるための大きな利点となる筈です。特に、近い将来県外の高校や大学へ通う目標を持つ児童・生徒には、この世の中の現状をいち早く知って欲しいと思っております。
※成績がボロボロの状態になればなるほど、流れを引き戻すのに多大な労力と時間を要すと念押しします。
できるだけ楽をして身につけたいと思うのは誰もが考えることだと思います(私も学生の時はそう思っていました)が、「手を抜いた取り組みでも技術は身につけられる」という思い込みは、甘い考えであると気付くことが賢明です。
早い段階で学習のリズムを生活の一部に組み込めるようになったならば、自然と復習や予習をすることができるようになり、復習ができるようになれば知識の定着につながるという好循環が生まれます。この段階まで進めると面白いくらいテストなどの点数が伸び始め、勉強がとても楽しくなってきます。
勉強を始めるきっかけそのものは「親に褒めてもらいたい」「クラスのみんなからすごいと思われたい」「テストでいい点を取ってみたい」という単純な理由でも構わないのです。勉強をして知識を増やし、様々な視点から身の回りのものをもう一度よく考え直してみると、今までとは違った興味深い事実に気付いたり新たな発見があったりする筈です。その時に、その好奇心を追求するような目標を定めても何ら問題はないだろうと私は考えています。
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